MINEサーキット営業終了のお知らせしんとうさんのとりあえずモータースポーツ内「MINEはマツダが購入」、
PEACHPITさんのエントリ「でちゃう!サード・スープラGT」、他へのトラックバックです。
既に先月の話題ですが、MINEサーキットが閉鎖されました。
流れとしては、まずサーキットのオーナーであるチョロQモーターズ株式会社がサーキットの営業を終了し、MINEサーキットを閉鎖。
その跡地をマツダ株式会社が買収し、そこに三次に次ぐ新たなテストコースを設置するというものです。
一部には「MINEサーキットをマツダが買収し、サーキットを閉鎖してテストコースを作る」=「マツダがMINEをつぶした」と捉える風潮もありますが、あくまでも閉鎖はチョロQモーターズの意思で行なわれたことで、このことでマツダを叩くのは短絡的に過ぎますね。
私は昨年の夏から広島で生活を始めました。
残念ながら、既にフォーミュラ・ニッポンのMINEラウンドは終わっていましたし、9月のF3第13/14戦は、仕事の都合で観に行けませんでした。
結局10月のル・マン・クラシック・ジャパンが、私にとって最初で(多分)最後のMINE観戦になった訳ですが、今にして思えば、ルマ・クラに行っといてよかったなあと思うばかりです。
今年はMINEのレースをいろいろ見に行ってやろう、と思っていた矢先の今回の出来事だっただけに、残念でなりません。
ただ、昨年秋のルマ・クラの際に感じた不安感や疑問点などを考えると、残念だけれどもやむを得ないことだったのかなあとも思えます。
■富士スピードウェイ閉鎖騒動
今、書店に並んでいるRacing on誌の3月号は、創刊20周年記念号ということで、1986年のレース界についての回顧特集が組まれています。
記事そのものは、1986年という年にフォーカスを絞り、F1、スポーツ・プロトタイプ(WSPC)、ラリー(WRC)といった世界選手権から、全日本F2、パリダカ、GCといった各カテゴリーについて記載されたものですが、そんな特集記事の中で、WEC Japanについて取り上げたページの中に、小さな囲み記事として、1979年からの一連の富士スピードウェイの閉鎖騒動が取り上げられています(執筆者は「ジローサン」こと高橋二朗さん)。
小さな記事なので、ここに概要を書こうとすると、「全文引用」になってしまうので、ごく簡単に内容を紹介します。
- 1979年、富士スピードウェイの地元を中心としてサーキット廃止案が浮上
- モータースポーツ業界は「日本モータースポーツ振興会」を立ち上げ、廃止に反対の立場を表明
- 一旦、廃止転用の動きがなくなる
- 1984年、再び廃止転用の動きが表面化
- 1985年、スピードウェイの親会社である三菱地所株式会社がサーキットの廃止について言及
- レース業界が、前述「振興会」と並行して「FISCO廃止問題連絡協議会」を立ち上げ
これには大御神レース村のガレージや富士GC選手会も参加し、一般レースファンへのPR活動などを活発に行なう
- 1986年、「連絡協議会」主催により東京でシンポジウムが開催、その後、神田から丸ノ内の三菱地所まで都内をデモ行進
- 1986年6月、小山町長に三菱地所から廃止問題についての地権者との調停依頼
- 同年7月、廃止問題は白紙とする旨の町長裁定
地元ガレージ・地元ドライバーが中心となり、業界全体で廃止転用に反対している様子が伺えます。
結局三菱地所は廃止案を撤回。以降トヨタ資本が入るまで、三菱地所は老朽化した設備を騙し騙し、富士スピードウェイを経営し続けることになりますが・・・
この閉鎖騒動については、自分はまだリアルに状況を知るほどにはカーレースにのめり込んでいた訳ではなく、殆ど後になって知った話でした。
三菱地所が「悪者」である、との風潮というか風説は、私がレースにのめり込むようになってからもありましたが、私自身が三菱地所の「サーキット経営のやる気のなさ」を実感したのは、トヨタ資本が入ってからですね。
トヨタ資本が入ってからは、施設の改善(トイレ・レストラン)、GT開催時の場内ループバス運行、場内飲料水自動販売機の充実と値下げ等、目に見えて観戦環境が改善され、その後、例の大改装へと繋がっていく訳ですが、これを穿った見方をすれば、いかに三菱地所がサーキット経営を嫌々ながらやっていたかということもチラチラ見えたり見えなかったり。
■富士とMINEの違い
さて、富士スピードウェイの閉鎖騒動と今回のMINE閉鎖騒動の違いは何でしょうか。
一番違うのは、業界全体がMINEの閉鎖に際して、平静を保っているという点でしょう。
話が発表されたのが、ちょうど国内レースのオフシーズンだったことや、運営会社が、「サーキット閉鎖案」ではなく、いきなり「閉鎖」を発表したこと(反対運動をする時間的余地がない)など、周辺状況の違いも大きいでしょうが、レース関係雑誌は運営会社の出したリリースをなぞったかの如き記事を載せるのみ、著名ドライバーのblogを見ても、ほとんど取り上げられていません。
遅まきながら、地元ショップ等によって、マツダへの所有権移転が決まってから、マツダに対しての「サーキット存続を依願する署名活動」が展開されているようですが、地元だけでやっている、という感は拭えません。
富士の場合は、大御神のレース村とその顧客が中心になり、業界を動かし、一般ファンをも巻き込むことに成功していたようですが、残念ながらそこまで大きな流れにはなっていません。
広島で暮らしていて、今回の閉鎖話が巷間で話題に上ることもなく、こちらに越してきてからできた数少ないレース好き・車好きの新しい友人達に話を振っても、「ああニュースでやってたねー」程度。
■ルマン・クラシック・ジャパン、JLMC・・・
そういえば、ル・マン・クラシック・ジャパンのときに感じたことがあります。
あれだけのイベントだったにも関わらず、広島というMINEに近い大商圏に暮らしていながら、ほとんど情報がない(以前、このエントリでも書きましたが)ことに唖然としたことがあります。
そりゃ、巨大メーカーや民放キー局がバックについているF1、INDY JAPANなんかと比較するのはどうかと思いますが、それにしても街でまったく情報を得られない。
広島じゃなくて福岡・北九州都市圏での宣伝に重きを置いていたのかと思いきや、福岡在住の人も同様の感想を持っていたらしく、どうも広報・宣伝に問題があったのか、地域的に西日本がカーレース文化の根付き方が浅いのか・・・ニーズのないところに情報は流れませんからね。ニーズを作ろうという意気も感じませんでしたし。
イベント内容そのものは、楽しいものでした。
クラシックカーという呼び方をするしかないような、骨董品、芸術品とでも言うべきクルマ達が、24分という短い時間とはいえ、本気でレースする様子は、クルマが好きな人は見ていて十分楽しいものだったと思いますし、時代が下ってくるほど、レースそのものの迫力も増し、CカーやLM-GT、LM-GTPのデモ走行は感動モノでした。
ただ、エントラントの数も観客も少なすぎました。
宣伝戦略に誤りがあったのか?ニーズがなかったのか?
ルマ・クラの時は、サーキットよりもむしろイベントのオーガナイザーに問題があるのではないか、と思ったんですが、その後調べると、オーガナイザー=チョロQモーターズ(つまりMINEサーキット自身)なんですよね、これが。
つまり、根本的にイベントが下手な上に、エリア的に抱える人口も少なく、さらにその少ない人口の中でもカーレースへのニーズが少ない。
こんなサーキットが、たとえ2年でも延命できたこと自体、奇跡に思えてきました。涙が出るような話ですが。
ただ、冷静に考えれば、首都圏を抱える富士なんかと比較にはならないまでも、MINEは立地的に福岡・広島・北九州の各都市圏で合計500万人を抱えていたとも言えるわけで、SUGO・仙台ハイランドの2サーキットで仙台都市圏一つを抱えていることを思えば(SUGOはメーカー直系サーキットだという点を差し引いても)、もっとうまいやり方があったのではないか、と素人目にも思える訳です。
チョロQモーターズの中心人物は渦尻栄治さんです。
で、この人はル・マン・クラシック・ジャパンでも中心的役割を占めており、今季から始まると言われているJLMC(JAPAN LE MANS CHALLENGE/全日本スポーツカー耐久選手権)の運営母体であるSERO(Sports Car Endurance RaceOperation)の代表者でもあります。
そういえば、昨年、そのJLMCの概要が発表された時、
「COXの渦尻さんが噛んでるのに、なんで開催予定サーキットにMINEがないんだろう?」
という疑問を感じた人は、少なくなかったのではないでしょうか。
童夢によるMINEの買収の話などもあったようですから、少なくともその時点(つまり既に「全日本スポーツカー耐久選手権」の発表時点)で、実は閉鎖の話は決定していたんでしょう。
これを表に出さなかったことに、どういった思惑があったのかはわかりません。
表に出した結果、三菱地所と富士スピードウェイの騒動の二の舞を踏んでしまい、(チョロQであれ、チョロQ以外の企業であれ)嫌々ながらサーキット経営を続けていくことになるのを嫌ったのかもしれませんし、もっと他に、外野のファンには思いもつかない深慮遠謀があったのかもしれません。
ただ、結果的に西日本・北部九州エリアのレースファンや、たまの休日にMINEで走っていた人たちの楽しみは奪われ、周辺ショップは仕事がなくなり、全日本選手権は開催カレンダーの変更と、最悪の場合年間レース数の削減を余儀なくされ、過去数々の歴史的名レースを生んだサーキットは無くなる訳です。
サーキット閉鎖の予定を、敢えてギリギリまで公表しなかったCQモーターズ。
閉鎖の兆候を捉えられなかったのか、分かっていても敢えて伏せていたのか、どちらにせよ公式発表までそれを伝えなかったレースマスコミ。
本当に問題があるのは、マツダではなくこのあたりでしょう。
(無論、早期に閉鎖予定が発表されたからといって、富士の時並みの動きを西日本・北部九州エリアのファンや関係者が起こせたとは、前述の理由からも考えづらいんではありますがね)
そして、最大の不安は、モーターレーシングそのものに対する愛情や熱意が無いのか、あってもそれを具現化する能力が欠如しているとしか思えない人が中心になり、本家ACOのお墨付きを高々と掲げて開始するJLMC。
JLMCへの参戦が確実と思われた郷さんが、一転してSUPER GTに参戦した理由は、「年間3戦では、コストをペイできない」ということですが、本当にそれだけが理由なんでしょうか。
本格的な耐久レース、しかもスポーツプロトタイプのクルマが走るレースは、日本じゃ久しく絶えて無かっただけに、シリーズそのものは成功してほしいし、予定通り開催されるなら、岡山ラウンドは是非見に行きたいと思いますが、やっぱり激しく不安を掻き立てられます。